文学少女の今日のおやつ  第7回『番外 ななせの恋日記』  今日から2年生。  暮らすわけを見たら、井上の名前が同じクラスにあったので頭に血がのぼって膝ががくがくして倒れそうになった。  本当に!? 本当に井上と同じクラス? 夢じゃないよね? 同姓同名の別人とか、そんなんじゃないよね? いまさら間違いなんて、言わないよね?  かみさまありがとう!  廊下に張り出されてた白い紙に印刷された井上心葉という名前を、10分以上もまじまじと眺めてていて、今年もまたクラスメイトになった絵里に、 「どうしたの、ななせ? 顔がこわばっているよ。そんなに怖い目で睨みつけるほど嫌いなヤツが、同じクラスにいた?」  と訊かれてしまったほどだ。  あーもうっ、どうしてあたしって、緊張したり考え事をしたりすると、目つきが悪くなるんだろう。唇も嫌味っぽくとがって言う手、たしかにガンを飛ばしているようにしか見えないよ。  あんまり恥ずかしかったので、 「べ、別にっ。なんでもないよ」  と硬い声で言い、トイレにこそこそ逃げ込んだ。  けれど興奮がおさまらず、そこで、別の高校にいる親友の夕歌に、即行でメールをしてしまった。 『夕歌! 大ニュース (@^▽^@)  井上と同じクラスになったの!  嬉しいよ! 嬉しいよ! 嬉しいよ〜〜〜〜!! \(^O^)/ 」  夕歌からもすぐに、返事が来た。 「やったね! ななせ (^▽^)V  教室で井上くんに会ったら笑顔だよ!  あっ、始業式はじまる。終わったらまたメールするね!」  とたんに、頭がズシンと重くなった。  笑顔。  それが大切なことは、よぉぉくわかっている。  けど、あたしは井上の前で、うまく笑えたためしがない。  向こうは、あたしがどんな顔をしてたかなんて気にもとめて無いだろうし、そもそもあたしの存在自体、気づいてないだろうけど……。  これまでのことを思い返すと、どんどん暗い気持ちになってゆく。  井上にはじめて会ったのは、中学2年生の冬。  井上は、あたしが困っていたとき助けてくれたのに、あたしは井上の笑顔があんまりまぶしくて、まっすぐで、見惚れてしまって、ありがとうの一言も言うことができなかった。  そのあとも、井上に会いに毎日図書館に通ったけれど、一度も声をかけられなかった。  井上の隣には、いつも同じ女の子がいて、井上のあの笑顔も、とろけるような眼差しも、はずむような言葉も、その子にだけ向けられていたから……。  あたしはそれを、ただ見ているだけだった。  そのうち井上は、図書館に来なくなってしまって、もう一生会えないんじゃないかって絶望でいっぱいだった。  だから高校生になって、同じ校舎で井上を見かけたときは、夢を見ているのかと思った。  嬉しくて、胸がいっぱいになって、まぶたがどんどん熱くなって、泣いてしまいそうで、  ああ、また会えた。  何度も何度も、心の中でその言葉を繰り返していた。  けれど、井上は中学生のときと変わってしまったみたいだった。  図書館であの子といたときは、本当に幸せそうににこにこしていたのに、高校生になった井上は、どこか憂鬱そうで、寂しそうに見える。  クラスの人たちと話しているときも、なごやかにとけ込んでいるように見えるけど、ずっと見ていると、あまり楽しそうじゃなくて、適当に相槌を打って、愛想笑いをしているように感じて……その合間にときどきふっと疲れたような表情を浮かべる。  そんな顔を見てしまうたびに、心臓にぎゅっとつかまれ、握る潰されているみたいな気がした。  井上は、どうして変わってしまったんだろう……。  あの子のせいなのかな……。  井上が悲しそうに見えるのも、苦しそうに見えるのも、あの子に関係があるのかな……。  あの子が、あんなふうに有名になってしまったから……。  そんなもやもやした思いが、胸の中で渦巻いていたせいか、せっかく再会した井上に、あたしままともに話しかけることができなかった。  中学のときと、ぜんぜん変わらない!  情けない!  毎晩『今日ももダメだったよ〜、廊下の角からガン飛ばしちゃったよ〜』『擦れ違いざまに、睨んじゃったよ〜』と、夕歌にメールを送っては、自分のふがいなさにベッドで枕を抱えて、じたじたしていた。  図書委員になったのも、井上が図書室にくれるかもしれないと期待したからだ。  それは叶えられて、あたしがカウンターにいるとき、井上は何度かやってきたけれど、あたしときたら井上の姿を見ただけで、頭が沸騰し、なるべく井上と目をあわせないようにし、別の仕事をするふりをして、カウンターからそそくさとはなれてしまう有様だった。  途中から、これじゃいけないと気持ちをあらため、ムキになって井上の顔を凝視するようにしたけれど、これは睨んでいるようにしか見えなかったのだろう。  井上は困惑に表情で、| 「あ、あの、返却期間過ぎてたかな?」  と、尋ねてきた。 「……別に」  と答えて、あわてて背を向けたけど、後悔でいっぱいになって、自害したくなった。  それに井上があたしのことを全然憶えていないみたいなのも、あたしのなけなしの勇気を|挫く《くじく》のに、じゅうぶんだった。  仕方ないよね。  あたしには特別なことだったけど、きっと井上にとっては、どうってことのない出来事だったんだから。  そう、仕方ない。  だいたい、あんな恥ずかしいこと、覚えているかなんて、いまさら訊けないよー。  あたしが弱音を吐くたびに夕歌は、 「もぉー、好きな人と同じ学校で再会だなんて、運命みたいなものなんだから、あきらめちゃダメだよ。きっと、ななせが中学のときより、すごく美人になってたから、井上くんは気づかなかったんだよ  井上くんのために、頑張って眉の描き方も覚えたんでしょう? ななせは可愛いしスタイルもいいんだから、自身をもって!」  と、励ましてくれた。  自信なんて持てないけれど……でも、そう、せめて、井上にあたしの名前くらいは知って欲しい……。  そんな希望は捨てられずにいたけれど、井上はやっぱりあたしのことなんて、視界に入っていないみたいだった。  相変わらず嘘っぽい笑顔を顔をはりつけて、誰とでもそこそこうまくやっている代わりに、特別に親しい友達はいないみたいだったけれど、たったひとりだけ、例外がいた。  その人と一緒にいるときは、井上は普段より子供っぽく見えた。  中学のとき、あの女の子といたときみたいに笑顔を全開にしていたわけでは決してない。  それどころか、その人の前ではしょっちゅう怒ったり、文句をいったり、あきれたりしていたけれど……それは、井上の上の本心から出た言葉や表情で、そこには嘘は一つもないように見えた。  井上は、その人とだけは、本音で接しているんじゃないかって。  その人は、井上の部活の先輩で、文芸部の部長で、図書室の一番の常連さんで、細くて長い三つ編みを腰までたらした、綺麗な女の先輩だった。  天野遠子。  それが先輩の名前だった。  ダイエットの必要がまったくないほどほっそりした綺麗な体つきをしていて、あたしみたいにヤンキーな感じじゃなくて、清楚でふんわりしたイメージで、見た目だけじゃなく、性格も気さくで優しくて、小川がさらさら流れるみたいな心地良い澄んだ声で、楽しそうに語る。  あたしが図書委員の仕事で、おたおたしていたときも、  「その本は、こっちの棚よ」  と教えてくれて、本の整理を手伝ってくれた。  驚くほどたくさん本を読んでいて、知識が豊富で、なのにそれを鼻にかけて人を見下したりなんか全然しない。  女のあたしから見ても憧れてしまうような素敵なひとだ。  天野先輩といるときだけ、井上は肩の力を抜いてリラックスしているように見えた。  それは井上のためには、良いことなのだと思う……。  笑うことを忘れてしまった井上が、安らげる場所を見つけたってことなのだから……。  けど、その相手が、あたしじゃないってことが胸がひりひりするほど悔しくて、哀しかった。  井上はあたしの名前すら知らない。  好きになればなるほど、臆病になってゆくみたいで、あたしはますます井上に声をかけられなくなってしまった。  ただ遠くから井上の姿を眺めて、じりじりしながら、何の進展もないまま春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が終わり、冬も去っていった。  2月14日に、一念発起して用意したチョコレートも、結局自分の部屋で食べた。  あたしは「やだ、全然平気だよ」と言いながら、やっぱり喉が震えて、ぽろぽろ泣いてしまった。 「ななせ。そのチョコ、ひとりで全部食べちゃダメだよ。ちゃんとあたしの分も、残しておいてね」  夕歌は携帯越しに、優しくそう言ってくれた。 「井上くんと、同じクラスになれたらいいね。そしたら今度こそ、覚悟を決めて告白しなきゃダメだよ」  春休みに、そう励ましてくれたのも夕歌だった。 「む、無理だよ〜。それに、うちの学校は人数が多いから、同じクラスになれる確率も、低いし……」 「でも、ゼロじゃないでしょ? よし、今日から寝る前にななせと井上くんがクラスメイトになれるようにお祈りしよっと。ななせも同じ時間に、お祈りするんだよ。そしたら効果倍増でしょう?」  そして、それは実現した。  1年間、井上と一緒のクラスで過ごせる!  井上に、あたしの名前を知ってもらえる!  それにそれに、クラスメイトだから、おはようとか、さよならとか言っても、不自然じゃない。    も、もしかしたら、この先席替えで隣の席にだってなれるかも……。それで、ノート貸し借りをしたり、体育祭で応援したり、文化祭の準備で遅くなって、一緒に帰ったり……。  これまで不可能と諦めていた妄想が堰《せき》を切ったように溢れだし、頭の中がぐるぐると回ってしまった。  新しい教室に入り、席に着いてからも、あたしは先生の話なんか、ろくすっぽ耳に入らなかった。  席はとりあえず出席番号順で、井上は廊下側の前から二番目に座っている。  あたしはその隣の列の、一番後ろの席だ。  緊張して、井上のほうをまともに見れない。  今からこんなんで、1年間同じ教室で過ごせるんだろうか。  ううん、弱気になっちゃダメだ。  これは神様があたしにくれたチャンスなんだから。  今度こそ、井上と話が出来るくらい親しくなるんだ。  井上に、あたしの名前は苗字で……。ああ、そして——そして、いつかは……。 「……さん、琴吹さん」 「あ、はい!」  あたしは、慌てて立ち上がった。  ぼーっとしているうちに、自己紹介の順番が回ってきたらしい。  やだ、失敗しちゃった。恥ずかしい。  あたしは唇をぎゅっと噛み、目の端に力を入れ、動じてないフリをしようとした。そうすると、ぶすっとしているように見えるだろうけれど、仕方がない。  井上がこっちを見ていると思うだけで、心臓がひっくり返りそうで、頬がほてってくるのに、にこにこ愛嬌をふりまくなんてできっこない。  けど、これは大切な、待ちに待った瞬間だ。  同じ部屋に、井上がいる。  あたしの言葉を、待っている。  あたしは背筋に力を入れ、34人のクラスメイトの中の、たった一人に向けて、言った。  あたしの名前を、その人に伝えるために。  そして、いつかその人があたしの名前を読んでくれることを、ひたすら願いながら。  震える声を隠すために、ぶっきらぼうに。 「琴吹ななせです。これからよろしくお願いします」  おまけ  ななせ一年カレンダー  4月 井上に再会したよ〜。  5月 あたしのこと、覚えてなかった……。  6月 井上、天野先輩と手をつないでいたの!  7月 七夕様、井上とお話できますように。  8月 夏休み……井上なにしてるかなぁ。  9月 球技大会で、こっそり井上のチームを応援しちゃった! 10月 井上と擦れ違った〜。 11月 文化祭。井上、天野先輩と教室にこもりっぱなし。 12月 クリスマス……いつか井上と。  1月 今年は……見てるだけじゃなくて、もう少し、頑張って……みようかな。  2月 チョコレート渡せなかった。  3月 井上と同じクラスだったらいいなぁ。